『私とゴー宣道場』

2017年2月10日

福岡県N(九州設営隊員No.0017)

『アツアツたこ焼きが食べたくなるなぁ。』

 

2016年・夏。

大阪のゴー宣道場の前日にて。新幹線で大阪に行き…ゴー宣ファンの先輩二人とはじめて会い、楽しく大阪の難破などを見回り夕食を食べました。その後、解散しホテルに泊まり…急いで、あるものを作り就寝。

 

翌日、ホテルを後にし…、ゴー宣道場に行く途中で、ゴー宣道場を通りすぎてしまい見事、おやおや…迷子ですよ?と生で呟く。30歳過ぎたのに迷子とは…これは墓場まで持っていこう。結局、昨日会ったゴー宣ファンの先輩に案内してもらい…やっと通りすぎたのに気づきました。

 

ゴー宣道場に入ると…やっぱり少し暑かったので『たこ焼き食べたくなるなぁ…』と強く覚えています。その中で、手話通訳の人と会い、手話で雑談しましたが、なんと…通訳するためにゴー宣の本を読んでいたようです。通訳者のプロ意識に脱帽。

 

そして…ゴー宣道場の各師範、小林よしのり先生がエレガント♪に入ってきて…

そのとたん、タコも吸盤が熱く感じるであろう程の熱気が一気に漂い、ついにゴー宣道場が始まった!!と武者震いがして…ワクワクしました♪

 

手話通訳の顔(口話)と手話と小林よしのり先生たちを相互に目で追いながら思考もして…でも、楽しかった!!マジで楽しかったです(笑)!汗が滴るタコの笑顔が浮かぶくらいです!

 

ゴー宣道場が終わり、出るとき…ホテルで急いで書いた小さな手紙を、小林よしのり先生が手話通訳をゴーマンに用意してくれた礼として感謝を込めて渡したかったですが、

『…やっぱり…勇気ない…諦めタコ…』と思いましたが、ゴー宣ファンが察してくれて預かってもらい、先生に渡してくれたようです。更に…書き起こしまで送ってもらいました。…皆からの愛を本当に…ありがとうございました!!改めて感謝を申し上げます。


2017年2月3日

兵庫県 S(九州設営隊No.0019)

『ゴー宣道場』を知ったのは、どこで、いつだったか?

今回、このエッセイを書くにあたって、それを考えたのですが、ど〜しても思い出せませんでした。

気がついたら、その存在を知っていて「よしりん、漫画から飛び出してるやん!」って思ったのは覚えてます。(もしかしたら、知らない間に宇宙人に誘拐され『ゴー宣道場を見よ!』というチップを頭に埋め込まれたのかも…σ(^_^;))

 

それからは、生放送を視聴をするのはもちろんですが、過去の道場も観ていくにつれ、どんどん道場にハマっていきました。ただ、現地で生で体感してみたいと思いつつも、気後れや東京という遠方という事もあり、道場は「観るもの」と考えていました。

 

それを一変してくれたのが『関西ゴー宣道場開催!』の発表でした。

兵庫住みの僕にとっては、『関西』と冠の付いた、その字面を見るだけでもテンションが上がりまくりましたし、凄くワクワクしながら参加の申し込みをしました。

 

そして、実際に初体験した道場

生で見る師範方の語り、身振り手振り、会場の空気感に刺激され、頭もフル回転でした。

「やっぱり生は違う!!」

終了後の心地良い疲労感は今でも覚えています。

 

もし、関西で道場が無ければ、一生体験出来てないかも知れません。

4月、『九州ゴー宣道場』が開催されます。

九州だからこそ参加出来る人もいっぱいいると思うし、今からワクワク、ドキドキしてる方もたくさんいてると思います!

ぜひぜひ、1人でも多くの方に生道場を初体験してほしいです!


2017年1月10日

佐賀県 木木(九州設営隊員 No.0006)

SAPIOでこのような面白い企画の存在に気づいた時は、既にもう3回が終わった頃でした。SAPIOのゴー宣欄外で第4回の申し込みを見たときの悔しさと言ったら。

SAPIOを欠かさず毎号見てたらこんな失態は無かったのに。。。今でもそう思います。

 

そんなゴー宣道場には昨年2015年の4月までほぼ毎回参加してきましたが、ゴー宣のよさの一つが様々な地域、職業、立場の一般の方々との同じ空間で触れられる事だと思います。

 

特定の著者の本ばかりを読んでいると、どうしてもその考えを純粋にそしてぼんやりと正しいと信じてしまいがちですが、ゴー宣道場では様々な考え方が見聞きでき、更には自分でも発信する事ができ、そこからワッと議論が巻き起こり、「考えるきっかけ」と、「様々な視点」に触れる事ができます。様々とは言いますが、そこには当然おおらかなベースが存在します。

 

皇室、武士道を中心とした「公論」がそれです。

そのおおらかで、かつしっかりとしたベースを持った熱い議論を、九州の方々が生で体験できるこのチャンス。

絶対に見逃してはいけませんよ!


2016年12月24日

東京都 F(九州設営隊員 No.0012)

縁あって第1回から参加させて頂いています。ゴー宣道場は、小林先生が我々庶民に「公論」の種を蒔き、「公」の意識を芽生えさせる為に、2年という期限を切って始められた企画です。

 

本来庶民は日常生活に精を出せばよく、政治は政治家に任せておけばよい筈なのですが、「公」の精神が欠落した政治家が溢れる現代社会に、小林先生は庶民も思考すべしとの警鐘を鳴らしておられます。道場で得た思考と議論の術を、如何に日常に生かしていけるかが、門下生の課題だと思っています。

 

2年の期間を経て、本来幕を閉じる筈だった道場が延長されたのは、皇室の危機を看過できないという小林先生の意志からでした。つまり皇統の安定継承が確実となれば、その時点で打ち切りということは十分あり得ます。

 

そう考えれば、九州ゴー宣道場は4月の成否に関わらず、最初で最後の九州開催になる可能性がないとは言えません。それだけに、福岡でのゴー宣道場は、小林先生始め師範の先生方にも参加者にも満足して帰ってもらえるような回に是非したい。会場も決まっていよいよ迫ってきたこの開催に、知恵と力を絞って臨みたいと思います。


『ゴー宣にはまった理由』

2016年12月4日

「私に『問い』を与えてくれたもの」

東北ゴー宣準備委員会 SAKU

昭和54年生まれです。

よしりん先生の作品に最初に出会ったのは、小学生の頃の「おぼっちゃまくん」や「いなか王兆作」でした。あの頃は、コロコロコミックが毎月楽しみで仕方がなかったことを覚えています。

 

中学生の頃は、担任の先生が、全教系の組合の先生で、道徳の時間の平和教育で戦争の話題になり、「慰安婦とは戦争の時にセックスをするために軍が連れて行った女性の捕虜」という言葉に、女性の先生が生々しく語ることにショックを受けたことを覚えていて、いつしか、戦争は悪で、東条英機が悪の権化のように感じるようになっていきました。そして、母方の祖父が戦争に行っていたとは知っていたが、その事を聞くことがタブーのように感じてなかなか話す機会が減ってしまいました。

 

大学に入って、どのゼミに入ろうかと思った時に、元々日本史が好きだったので、日本史ゼミに入ろうと思っていたが、歴史の教授は2人いて、どちらを選ぶかという問題が生じました。そこで出会ったのが、ライジングで話題に出した「本に読まれるな」の教授です。噂でゼミで、よしりん先生の「戦争論」を使ってレポート発表しているとのことで、興味をもち、迷わず入りました。

 

毎週交代で各章を分担してレポートを書いて発表しました。よしりん先生の作品を通してゼミ仲間の考えに触れて意見交換するのは楽しかったことを覚えています。そして、卒論は「極東国際軍事裁判(東京裁判)」について書きました。その際、思い切って祖父に戦争のことを聞いてみました。祖父は、懐かしそうにその時のことを話してくれました。話を聞いて、戦争や戦争に行った人を悪という一面で見るのはおかしいと思うようになり、色んな面から見ていかないと危険だという危機感をもつようになりました。昨年、祖父が亡くなりましたが、亡くなる前に、戦争の話を聞けて本当に良かったとおもいます。

 

私にとってのゴー宣とは、いつも、私に問いを与えてくれる存在だと思います。ここからは、私の勝手な解釈ですが、よしりん先生は、今まで一度も「わしを信じろ」とは言ってません。むしろ「わしを疑え」と言っています。それは、色んな事象から闇雲に答えを見つけるのではなく、自分なりに検証し、考え、自分なりの答えを見つけていくしかないのではないか、ということなのかなぁと思います。とはいっても、私も揺れやすい人間だから、安易な考えに行きそうになると、よしりん先生のゴー宣から、「それで良いのか?」と問いが現れ、また、読み直し、検証し、結果3歩進んで2歩下がるなんですが…。

それでも、ゴー宣がくれた「問い」を大事に自分なりの「個」を確立できたらと思っています。


2016年11月28日

「ゴー宣との出会い」

関東ゴー宣道場設営隊長

昭和29年生まれで(よしりん先生より少―し若い!;;)、年代的に言っても、戦後民主主義教育で育ち、サヨク的な考えが常識・良識だと思っておりました。「週刊金曜日」も創刊の頃から定期購読申込みしたりして;。

 

「小林よしのり」はその誌上で初めて知りました。1995年夏、「SPA!」から「ゴーマニズム宣言」が「SAPIO」に移った経緯を語る記事が掲載されたのです。発言される言葉がスッと入って来るものだったし、写真を見て「わー、小林よしのりってカッコいいなー♪」って思いました。

 

後日、田舎の小さな書店でふと手にとった雑誌「頓智」※をパラパラめくっていたら、そこに「鶴見俊輔・小林よしのり対談」の特集があったのです。アッあのカッコいい方だ、大物の論者と語っている!、と買ってきて読み、惹き込まれました。

 ※「頓智」は筑摩書房刊の月刊誌で一年間もたずに休刊になってしまいましたが「開かれた好奇心をたよりに、世の中の森羅万象を明るく元気に読む。いまの時代を、軽やかに走り抜ける。」(巻頭言)という姿勢の面白い雑誌でした。

 

今思えばその記事は「ザ・議論」と同様に互いにポジショントーク無しの自由闊達さ、年齢差はあろうとも両者の「本物を感じ取る感性」があふれる対談でした。鶴見氏が「ゴーマニズム宣言」を熟読し、高く評価し、その可能性に目を輝かしている、という感じが伝わってきました。

 

単行本のゴー宣(初期)もすでに8巻くらいになっていました。全巻遡って読んだのは当然。以来SAPIOも出るのが待ち遠しいくらいにその都度読むようになりました☆。---こういう「言葉」「描き方」で問題に切り込む表現者に初めて出会った・・・と衝撃でした。

 

親しい本屋さんに「小林よしのり」の著作リストを作ってもらい(その頃はPCは普及してなかったのヨ)その冊数の多さにビックリ!(コミックも合わせて200を超えていた;;)。

 「おぼっちゃまくん」全巻をはじめ、単行本等々、その時点で手に入るものをその本屋さんに次々頼んでしまいました。ゴー宣を描く方の「全体像」「とんでもなく大きなパワー」を知りたいという気持ちでいっぱいになったのです。

 

時は30代から40代にかけての子育て中、特に「おぼっちゃまくん」は親子で夢中で読みまくりました。ぶっとんだギャグに爆笑しつつ、これは凄い教育書だ!!と母親σ(^-^)は直感しちゃったのです。(「メカチャマ」などは読む度に今でも泣いてしまいます;;。)

 

この後、SAPIOゴー宣で「南の島に雪が降る」(後に「戦争論」に収録)を読んだことが契機になって、≪18歳で戦死した伯父の戦友達の方々≫を訪ね、当時を教えて頂く、という自分に繋がる具体的な展開にもなりました。

 

ゴー宣との出会い、ということですが、それが無かったら「今」は無かったと言っても過言ではありません。というか、それによって揺さぶられ、考え、面白がり、日常を暮らしているのだと思います、今日も。(^-^)9☆


 

2016年11月24日

【祖父との絆を繋いだもの】

 

大阪府 カレーせんべい (九州設営隊員No.0003)

私は昭和54年に大阪で生まれ、大阪で育ちました。

私が通った小学校では夏休みには「登校日」があり『平和教育』の授業を受けました。

体育館や中央玄関に『南京大虐殺の写真』が展示され、生首や頭蓋骨が山になっている写真を沢山見ました。そして感想文を書く課題が与えられました。当時小学生だった私は、祖父を軽蔑する感想文を沢山書きました。

 

・・・

 

私が小林よしのり先生の【ゴーマニズム宣言】に出会ったのは、それから10年後。大学生の頃です。本屋さんで【差別論スペシャル】の文庫本を手に取ったことから始まりました。

「これはとてつもない思想の書であり、エンターテインメントの書だ!」と大興奮!初期の作品から全てを買い漁りました。

 

そして【戦争論】を読みました。

あの本は、私が子供の頃から植え付けられて来た「日本に対する増悪」を吹き飛ばしてくれました。

そして祖父との絆をギリギリのタイミングで取り戻しました。

祖父から戦争の話を直接聞くことができました。

 

若い時、日本の大陸進出とともに満州に渡って、自分の人生を切り開こうとされたこと。

そして戦争。満州で応召され、日本軍の兵士として第一線で勇敢に戦ったこと。

軍曹として敵陣への突撃を60回行ったこと。

「第一番に突撃するのが一番安全で、二番目、三番目は弾に当たる確率が高くなる」と感じたこと。

金鵄勲章をいただいたこと。

 

そんな話を祖父が亡くなる数年前に聞くことができました。

祖父との絆を繋げてくださったのは【戦争論】です。

小林よしのり先生には、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。


2016年11月22日

「ひねくれ者、ゴー宣に満足す」

福岡県 dai (九州設営隊員 No.0001)

僕はもともとひねくれ者。世の中の言説に物足りなさを感じてました。有り体に言えば、「面白くない!」…。けど、その言説に反論できるわけでなく、「正しい」と認めざるを得ませんでした。悔しかったなあ。

 

けど、大学進学したばかりに出会ったゴー宣。世の中の言説にとことん反発しながらも、理屈はしっかりしてた!そして、後によしりん先生の自分の言説への覚悟を知るにつれて、コアなファンになっていきました。本当にかっこいいですよね。

 

僕は人生の半分以上をゴー宣から学んだと言ってもいいかも知れません。善意の中の悪意。自分も含めた人の弱さ…。これらは、仕事の上で人間を理解する必要に迫られたときに非常に役立ちました。あのとき、ゴー宣に出会わなければ…。でも、恐らくはそんなifはないはず!そう断言できるほど、僕にとっては運命の出逢いなのです。


2016年11月14日

「小林よしのりにハマりました」

隊員No.0014 T

初対面よりも再会したときのことをよく覚えています。

よしりん先生が真っ赤なスーツでびしっとキメて、「わしズム」創刊号の表紙を飾っていました。書店に平積みされた本の中で、ひときわ目を引くものでした。「わしズム」は、評論あり、ミュージシャンや女優、漫画家とよしりん先生の対談あり、蜷川実花さん撮影のまっピンクの表紙ありと、内容が濃い上にバラエティに富んでいてとにかく楽しい雑誌でした。

 

それから、よしりん先生の作品を読み漁りました。面白くて止まらなくなったとです。「戦争論」の、じっちゃんたちのために描く、という姿勢に心打たれましたし、ゴー宣道場のブログで語られる表現者としての覚悟に惚れ直します。

これからもよしりん先生の作品に、魂と脳みそを揺さぶられながら、いろんなことを学んでいきたいと思います。


2016年11月6日

「よーしゃなく厳しか人・小林先生」      

北九州市 隊員No.7 松葉

小林先生は、ゴー宣で大人の作法や生き方をいつも示しているように思います。

数年前のゴー宣で、黒木瞳主演の「失楽園」という映画が取り上げられました。

この時、「子供たちに伝えることはないのか?」と、老いらくの恋に憧れる熟年世代を戒めていました。

その当時私は、「そのくらいいいのではないか?」と思いましたが、

今は、やはり小林先生の言葉は正しかったと理解できます。

こんな批判をする人が他に誰がいるでしょうか?

何かが流行ればその流れに老いも若きも乗せられるのが主流の中、小林先生はいつも

真っ当な意見を持っていると思います。

 

ゴー宣初期の頃は楽しい話が多く、編集者が持参するお菓子の話や、幽霊の話がすごく

好きでした。

ゴー宣が進むにつれ、周囲との摩擦がどんどん激しくなり、新聞で小林先生を批判する

記事を読んだ時は、正直自分の立ち位置がこれでいいのかと迷いました。

世間の多くの意見に対抗する、少数派の小林先生の意見を支持することに自信が持て

なくなってしまったのです。

 

こういった葛藤を経て、やはり今もゴー宣の愛読者でいます。

小林先生の、読者に対する鋭い切っ先のような言葉を受けて、がーんとすることが

今でもよくあります。

ファンだから、余計にその言葉にショックを受けるのですが、こういった厳しい意見こそが小林先生の真骨頂と、受け止めるよう努力しています。


2016年11月2日

「ゴー宣との出会い」

福岡県F(九州設営隊員No.0013)

はじめは、主人の買ってくるサピオをチラ読みするくらいでした。東大一直線もおぼっちゃまくんも読んでいない私は、よしりん先生のことをあまりよく知らず、サピオも何となく小難しくてお堅いイメージでした。でも、ゴー宣はわかりやすく面白く読めて、よしりん先生が高校の先輩であることもあり、親近感を持っていました。

 

そのうち、主人が毎月せっせと東京に通うようになり、「どんなことをやってるんだろう」と思って参加したのが、つのだ☆ひろさん、井上和彦さんゲストの第18回玉川区民会館です。あんなに大きい会場が満員になる盛況ぶりにも驚きましたが、会場から次々と質問が出される活気にもびっくりしました。また、人事労務会館の最前列ど真中で参加した時は、よしりん先生との距離の近さに思わず『ほわーっ』となってのぼせてしまいました。

 

よしりん先生のフェロモンにやられたのかもしれません。ゴー宣シリーズは『天皇論』からです。日本の元首で、国民統合の象徴である天皇について詳しく知ることができた一冊であり、今、最も熱い議論の中心である本です。その後、門弟・設営隊と関わりつつ参加してきましたが、息子の高校進学・受験から、しばらく動画で拝見していました。今回、九州ゴー宣のお話をきっかけに、再び道場に参加して、やっぱりリアルタイムでの道場はいいなあと思っています。


2016年10月29日

「ゴー宣との出会い」

京都府 I (九州設営隊員No.0005)

19歳か20歳の夏休みに夜行列車で大分県の両親の田舎へ弟、妹3人で行く機会がありました。電車の中での暇潰しの雑誌を。と初めて買ったSPA!に、夜中に「アクビをし過ぎて顎が外れた漫画家さん」が病院を探して走る、とても面白い漫画が載っていたのです。

 

大分県から帰って来た私は当時の彼氏に『面白い漫画を読んだわぁ』と報告しました。

すると彼は大変驚き、『それは「小林よしのり」の「ゴーマニズム宣言」という漫画だ。自分は「東大一直線」を昔読んでいた。今問題になってる薬害エイズのこと知ってる?』全く知りませんでした。『ゴー宣になる前の初期の作品も面白いよ』と既に出ていた単行本をプレゼントしてくれたのが、今も続く購読のきっかけです。そして「小林よしのりって、おぼっちゃまくん描いてた人なのか⁉」びっくりしたのを覚えています。

 

ゴー宣の中に私の人生に多大なる影響を与えた言葉があります。

「現場を持ってプロになれ」

20年以上の年月が流れ、自分の立場も変わっていきましたが、常に現場で考え、地に足をつけた生活を送る事が出来ているのはゴー宣を読んできたおかげだと思っています。考えると両親が九州出身じゃなかったら私はゴー宣に出会っていません。今とても不思議な縁を感じています。


2016年10月15日

広島県 S(九州設営隊員No.0002)

もう、遠い昔すぎて記憶が定かでありませんが、たしか就職して間もない頃('95年頃?)、たまたま手に取った雑誌「SPA!」でゴー宣と出会いました。オウム事件や薬害エイズの頃です。

 

それ以来、出版済みの単行本をかき集め、必死に読みふけりました。ただ、その頃は、猛烈に仕事にのめり込んでいた頃で、雑誌はリアルタイムではなかなかトレースできず、各巻のほか「差別論スペシャル」や「脱正義論」といった単行本を、まとまった休日に読んでいました。

 

「戦争論」の頃になると、元々歴史好きなこともあり、我が意を得たり! とばかりに夢中になって読みました。おかげさまで、シベリア還りで機械職人だった祖父(呉海軍工廠で「大和」や「武蔵」の主砲内側の螺旋を切っていたそうです)の死にも間に合いました。私自身が「公」を意識できるようになったのは、紛れもなく「戦争論」のおかげです。それまでは、個人主義ならぬミーイズムの実力主義でした。

 

WTC破壊のときは、実は私も「なんて頭のいいヤツなんだ!一体、IQいくつよ!?」と感心しました。「その手があったか!」の小林先生と類似の感想を持てたことが非常に嬉しかったのを思い出します。

 

あと、今となっては少し地味かもしれませんが、「パール真論」で、真実を追究するプロの姿勢と言論戦の凄まじさを学ばせて頂き、これは仕事においても生活においても、かけがえのない宝物(人生を変えた一冊)となっています。

そんな「ゴー宣」ももう20年以上になるのですね。思い返せば、人生の半分以上は「ゴー宣」のおかげで形成されたようなものです。今でも、ゴー宣に追いつけ!とばかりにひた走る毎日です。


2016年10月15日

「父の愛情と喪失に出会う」

福岡県N(九州設営隊員No.0017)

最初は、父の愛情で、おぼっちゃまくんに出会いました。いつも兄弟4人がケンカなどしてるのに、レンタルビデオを選ぶとき、いつもふしぎと仲悪い兄弟4人が全員一致で、おぼっちゃまくんビデオを選んでた。(今の若い子供はビデオを知ってるのだろうか…)

 

おぼっちゃまくんのアニメをブラウン管テレビでゲラゲラ笑って見てました。(今の子供はブラウン管を知ってるのだろうか…)おぼっちゃまくんの単行本も父の愛情で買ってきてくれたと…覚えてる…覚えてない…かも…(汗)。でも、確かに子供の時単行本を読んだ記憶はあります。たしか、1巻に赤い表紙…日の丸があったような…。当時はコロコロを、おこっちゃまくんとか見ていたと思う。

 

俺が中学に上がるころ、父とはすでに疎遠になりつつあり、中二の時ついに来てしまった

父の喪失で、戦争論に当時は…学校に行く嘘を言い本屋などでサボっていた時に出会いました。おぼっちゃまくんの作者の名前を覚えていたので、興味津々で読んでみたら…

『すべて日本人が自ら決断し 戦って敗れて なお我に正義はあったのだ!』

まだ大部分は理解は出来なかったのですが、この一言だけが頭をハンマーで殴られた衝撃を感じられました。

 

いまでも忘れられない思い出ですね。そこから、ゴーマニズム宣言を調べて知り、今に至ります。小林よしのり先生ほど、優しくてギャグが天才な漫画家はいないです。これにて、終わります。 


2016年10月15日

大分県 Y(九州設営隊員No.0011)

ゴー宣に出会ったのは16年ほど前です。最初に手にした作品は「差別論スペシャル」でした。次は「戦争論」でした。「戦争論」では、戦争時代の日本人は『「誇り」をもって「公」すなわち国のために自らの命を賭けて戦ってくれた』ということを知り、戦地で亡くなった先人たちの想いに無関心だった自分を恥じ、ただ落涙するばかりだったことを、今でも覚えています。

 

小林先生の作品のすべてを読んでいるわけではありませんが、それ以降、「天皇論」、「大東亜論」、「民主主義という病い」などを読み、知識の幅を広げています。今も「ゴー宣にはまっている」理由は、単に知識のみを詰め込むだけではなく、自分の頭で考え、そして自分の「言葉」で語れるようになるためです。そして、そのきっかけを与えてくれているのが「ゴー宣」であり、「ゴー宣道場」であると思っています。 


2016年10月13日

島根県 尻毛屋 (九州設営隊員No.0018)

私がゴー宣と出会ったのは二十余年前になります。バブルが弾けて間もない頃、当時学生だった私は学校帰りに「何か面白い漫 画はないものか」と本屋を巡るのが日課でした。とはいえ、どれもこれも絵はキレイなのに、当たり障りのない退屈な漫画ばかりに辟易していました。

 

そんなある冬の日、立ち寄った大通り沿いの(今は無くなった)書店の奥、青年マンガコーナーの棚で小林よしのりの名前を見つけたのです。それがSPA時代の「ゴーマニズム宣言第一巻」でした。コロコロから離れて久しかった私は、「おぼっちゃまくん」の人が 今度は何を描くのだろう?と興味津々に本を手に取ったのですが、その内容は 障害者を描く、ヤクザについて描き上げる、終いには差別について追求するわで、「ゴーマニズム」 の名の通りに強烈かつ先鋭的、「おぼっちゃまくん」を初 めて読んだ時以上の衝撃を受けました。

 

新しい世界が見えた、脳みそを揺さぶられたと言っても良いかもしれません。そのままゴー宣第一巻を読みきった私は迷うこと無くレジに持っていき、立て続けに第二巻、第三巻と買い揃え、それからゴー宣を追いかける日々が始まったのです。 


2016年10月10日

新潟県T(九州設営隊員No.0010)

12年ほど前、朝生で小林先生をよく見ていました。話に説得力があり、田原総一朗にも一目置かれている様子に、だんだん興味が増していきました。小林先生のデビュー昨『東大一直線』は、少年ジャンプで読んでいました。オウム事件の頃、『暗殺されかかった漫画家』としてワイドショーに出られていたのも覚えていて、その時に見た麻原の絵がとても面白く、「これは暗殺されるよなあ」との思いと共に強く印象に残りました。それがゴー宣との最初の出会いです。

 

それからは、朝生で先生を拝見する度に、あの麻原の絵をもう1度見たいという欲求が増していき、ついに本屋さんへ車を走らせました。

小林先生の本を探して中をフラフラ・・・、フッと目を止めた先には先生の作品だけを集めたコーナーがあるではありませんか。「人気あるんだなあ」などと思いながら近付いていき、何冊かを手にとりペラペラめくってみると、あの楽しそうな絵でいっぱいでした。目次でオウムの回を探し、ついに、あの麻原の絵を見つけることが出来ました。

 

さらに色々と手にとって開いてみると、どのページもどのページも絵とセリフでビッシリと埋め尽くされています。正直、これは“お得”だと思いました。一冊で、タップリと長い時間を楽しめるんじゃないかと思いました。そして、読んでみたいと思いました。家でじっくりと読んでみたいと思いました。私は静かに小林先生の本を元の場所に戻し、ブックオフへと車を走らせました。m(__)m

 

『よしりん戦記』と『戦争論』を買って家に戻り、まずは、よしりん戦記から読み始めました・・・。スッゲー!おもしれー!何なんだこれは!?メチャクチャ楽しい~!   

こんなにもワクワクする本ってあったっけ?これ、全部実話だよね?!小林さんってスッゲー人なんじゃねえ!!・・・何章か読んで、勿体ないので一旦読むのを止めました。

そして、次に手にした戦争論。トイレに行くのもご飯を食べるのも時間が惜しく、一心不乱に読み耽り一気に読了。これほど熱中した事は、ガキの頃を除いて無かったんじゃないだろうか・・。あっ、ケータイの出会い系にハマった時があった!東京と沖縄に初めて女性の友達が出来て、寝るのも惜しんで打ち続けたっけ。何の話だ。

 

戦争論は、本当に楽しいエンターテインメントで、身体中の血液が沸騰するほどに燃え上がり、魂が震えるほどに泣け、目から鱗がボロボロと見事に剥がれ落ち、読み終わったあとは、色んな感情が混ぜ込ぜになりながらも、生きる目標と希望が見えた気がします。

そのあと、また、よしりん戦記を勿体ながりながらチビチビ読み進めて行き、読み終わった頃には完全に小林よしのり先生とゴー宣にハマっていました。

 

すぐにブックオフに車を走らせ、他のゴー見シリーズを見つけては買い、読んではまたブックオフへの繰り返しで、少しずつ集めて行きました。途中、ブックオフについて先生が描かれた章を読み、また目から鱗がボロボロと剥がれ、よくやく気付きまして、それからは本屋さんで購入しております。m(__)m  


2016年10月6日

兵庫県 S(九州設営隊員No.0019)

僕は、19才後半か20才になったばかりの頃『ゴーマニズム宣言』出会いました。

『SPA!』で、ゴー宣の連載が始まって間もなくの頃だったと思います。「めっちゃ面白いマンガやぁ!」と、すぐにハマり「今週は、どんな、ごーまんかますんやろう?」と、毎週、ワクワクしながら読んでいました。

 

しかし『SPA!』から連載が無くなった頃から、次第にゴー宣を読まなくなっていきました…。そんな僕と、再びゴー宣とを繋いでくれたのが、たまたま本屋さんで見つけた『天皇論』でした。

 

話は少し変わりますが、僕が20代初めの頃、友達の母親から、ポロッと「天皇陛下は大切にせなあかんのやで~」と、言われた事があります。何でそんな会話になったのかは、全く覚えていませんが、僕の反応は、「???」だったと覚えています。でも、なぜか、その言葉が、ずっと心に引っかかっていました。(もちろん、日々考えてはいませんが。)

 

 本屋さんに並んでいる『天皇論』を見た時、ふと、その言葉を思い出し、手に取り購入しました。天皇とは!?、と、大上段からではなく、小林先生の体験から始まり(君が代の章は僕もプロレスファンだったので、メチャメチャ共感しました(笑))スッっと本の世界に引き込まれていき読み終えた時には「???」と、モヤモヤしていた霧が晴れたのを覚えています。

 

それ以来、離れていた時期に出版されていた数々の本を、漁るように読みまくりました。小林先生は、『天皇論』『戦争論』『反TPP論』等々…色んな題材を描かれていて、それぞれは、全く関係ないように思えますが、その実、全てが、1本の糸で繋がってるような気がします。そして「テーマ」ありき、ではなく「テーマ」が、小林先生に寄って来て、描いてもらってるような感覚もあります…。

 

『ゴー宣』からは、本当に色んな大切な事を受け取りました。そして、道場を通して、たくさんの方と出会い、今、その縁で、この文章を書かせてもらっています。感謝、感謝です♪…ありがとうございます。 


2016年10月1日

長崎県 ガトー (九州設営隊員No.0009)

部活に明け暮れていた中学二年の秋、新聞の広告で見つけた一節のフレーズ。

「戦争に行きますか?それとも日本人やめますか?」

あまりにも有名な戦争論のこのコピーは、あまりにも衝撃的すぎて。すべての文句が学校では習わない概念。その衝撃を国語の先生に話してみたところ、なんとその先生はすでに戦争論を購入しており、貸してもらえることに!

 

翌日、本を借りた私はあれほど熱中していた部活もそこそこにむさぼり読みました。本の世界にダイブするというのはああいう感覚なんでしょうか。そして読後の感想は「ああ、間に合わなかった…」というものでした。直前に海軍の軍人であった祖父を亡くしていたのです。漫画なんか読んだこともなかった祖父でしたが、これを読ませてやりたかったと。もっと話を聞いておけばよかったと。

 

今思えば、この歴史の縦軸の再構築こそがあの本の意図だったと理解もできます。そこから単行本を集めるようになり、「現場を持て!プロになれ!」という言葉にも出会えました。浮き草みたいな暮らしをしていた時期にもこの言葉が頭のどこかにあり、「いつか自分の現場を持とう」という思いが完全なる堕落を防いでくれました。とにかく、ゴー宣の言葉は「忘れられない」のです。

 

右脳にダイレクトで刻みこまれるような感覚。そして直近でも、「一人でいても寂しくない人間になれ!」という頭山満の言葉が紹介されています。その時その時に心に響く言葉がそこにあるから、20年近く読み続けています。 そして、これからも読み続けたいのです…


2016年9月26日

木木(九州設営隊員 No.0006)

元々は「本なんて馬鹿が読むもの」と友人に言いふらしていた私。

実際高校時代までは読書と言う読書をしたことがありません。あろうことか漫画すらろくに読まずに過ごしてきました。

 

そんな中、13年前の高校3年の頃、友人が井沢元彦氏の「言霊」が面白いと 薦めてきて、いざ読んでみると確かに面白い。就職の為上京後、井沢の著書を読んでいるうち、小林先生との共著『朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任』に出会い、そこから小林先生の本を読むようになりました。(本棚が小さくて 困る)

 

初めて読んだのは『挑戦的平和論』でした。その後たまにSAPIOも読むようになり、たまたま職場で(!) SAPIOのゴー宣を読んでいたところ、欄外のゴー宣道場の案内 を見つけ、迷わず往復はがきで応募しました。初回から気づいていればよかったのに!何故もう第4回なんだ!と 悔しかったのを思い出します。

 

それ以降、昨年6月に九州に帰るまでほぼ毎回勉強させて頂いてお りましたが、九州に帰ってきて、こちらにもやはり”熱い!”ゴー宣ファン、道場に参加したい人々が多数いる事を知り、東京からは遠いながらも、公的で、真面目で、楽しい議論ができる場を、ここ九州で作るにあたり少しでも力になれればと思い、こちらでも設営隊に参加させて頂く事となりました。より健全で知的な議論の場を、九州からも作っていきましょう!! ! 


2016年9月26日

東京都 F(九州設営隊員 No.0012)

ゴー宣との出会いは20年前、職場の同僚から紹介された「戦争論2」でした。新幹線車中で、「南の島に雪が降る」に涙が止まらなかったことを思い出します。

たまたま東京出張に重なった「新しい教科書をつくる会」のシンポジウムにも出席し、小林先生がつくる会と決別するきっかけを目の当たりにしました。

 

サピオの欄外で「ゴー宣道場」の告知を見た時は、是非参加せねばと思い、幸運にも第1回から出席させて頂いております。ゴー宣道場は常に資料・根拠に基づいた議論が理路整然と行われ、しかし真面目一辺倒ではなく、笑いが絶えません。そんな中で楽しみながら、それまでの自分がいかに報道や政府の発表を鵜呑みにしていたかを思い知りました。

 

また、ゴー宣道場を通じて、笹先生のガダルカナル島遺骨収容にも同行させて頂き、骨法道場にも入門でき、知識経験を広げることができています。

決してその場限りの議論ではなく、日常の力となり得る討論の場であること。それが、ゴー宣道場の大きな魅力だと思います。