ガトー「九州は男尊女卑かもしれない、の一例」

母親が突然選挙に出たことがある。

 

 

もう15年以上前の話だ。

 

 

 

それまで5人の子を産み育て、普通の主婦として家庭を守ってきた母であったが、当時の町政がおかしな方向に行っている、との思いが募ったらしく、町議会選挙に出馬を決意した。

 

 

昨日まで普通の主婦だった女だ。

 

当然、後援組織など何もない。

 

それどころか、九州の田舎特有かもしれない反応の壁にぶち当たった。

 

 

「旦那さんがなんで出馬しないの?」

 

「旦那さんはいいって言ったの?」

 

「旦那さんはなんで反対しないの?」

 

 

選挙戦に入り、投票をお願いしても、

 

「お父さんに聞いてみないと」

 

「うちは誰に投票するのかをお父さんが決めよるけん」

 

 

出馬したのは我が家の代表ではなく、母個人だ。

 

しかし、「なぜ女が前に出てくる?旦那は?」という意識が、この街ではとても強いことを目の当たりにした。

 

 

そして、投票も個人の判断ではなく、家長の指示でやるもの、と捉えている人が多かったことに衝撃を受けた。それほど「政治は男のもの」という意識が強かったのだと。

 

 

結果として当選したものの、母の引退から現在に至るまで、我が街に女性議員は生まれていない。

 

 

あれから15年。

 

 

いかな九州の片田舎とはいえ、個人の意識として男女平等の意識は若い世代にはあるだろう。

 

 

しかし、親戚や地域、職域といったくくりになると、急に昔ながらの男尊女卑が集団の意思として顔をのぞかせる傾向は変わっていない印象だ。

 

 

これが九州特有のものなのか?

 

この意識は今後変わることはあるのか?

 

 

それとも、「必要だから」消えることがないのか?

 

 

今回の九州ゴー宣道場を、様々な角度からこの問題を捉える好機としたい。

 

(了)