令和元年7月20日

「我が愛しのよしりんキャラ」

 

評論家・呉智英はかつて小林よしのりを「異常天才」と称した。

 

 

生み出される漫画作品やそのキャラクターが既成概念から大きくはみ出し、なおかつ躍動している様を端的に現した、素晴らしいネーミングだと思う。

 

 

よくよく考えてみれば、デビュー作である東大一直線の主人公・東大通から、近著である大東亜論の主人公・頭山満(実在の人物ではあるが)に至るまで、小林よしのりの漫画には「ずんずんずん」という効果音とともに驀進するキャラクターがとても多い。そしてそのどれもが魅力的なのだ。

 

 

自分の信じる価値をどこまでも追求せんとするような強烈なエネルギーを持つキャラクターに、周囲が巻き込まれていくというスタイルは小林よしのりの漫画では王道だ。

 

 

今回私は、そんな小林よしのりの漫画に登場する「ずんずんずん」なキャラクターについて、自分なりに感じた魅力をお話したいと思う。

 

 

なお、あくまでもこれは私が個人的に感じたことを文章としたものであり、多くのファンの方の認識と相違が生じることもあると思うが、拙文に免じてお許しいただきたい。

 

 

 

【江呂井英雄(厳格に訊け!)】

 

 

今回取り上げたいのは、厳格に訊け!の敵役である江呂井英雄である。

 

 

小林よしのりの長年のファンならこのネーミングの時点でクスッと来るのではないだろうか。

 

永年よしりん企画をチーフとして支える広井英雄氏がそのモチーフとなっている。

 

 

なぜ最初に取り上げるのが御坊茶魔や東大通などのメジャーなキャラクターではなく彼なのか?

 

いや、私には彼が一人目でなくてはいけない理由があるのだ。

 

 

遡ること20年、中学生だった私は学校の文化祭で上演する劇の脚本を書くことになっていた。

 

 

戦争論ショックの直撃を受け、過去のゴー宣の単行本やスペシャル本を読み漁っていた頃だ。

 

 

その流れで出会ったのが厳格に訊け!であり、江呂井英雄であった。

 

 

江呂井は厳格の息子が通う高校の教師であり、強烈な管理教育を推し進めようとしていく。

 

恋愛や自由を徹底的に規制しようとするが、その規制は常識の範疇をはるかに逸脱していた。その目的は単なるいち学校のことに収まるものではないのだが、作品の肝であるため、ここでは詳細に触れない。

 

 

最終的に、厳格の説教により江呂井は敗北を受け入れるのだが、敗れてなお彼は自説を曲げることを拒否する。いや、むしろこれまで以上の管理教育を行うことを高らかに宣言する。

 

 

ここに一番の魅力を覚えた。

 

 

小林よしのりが生み出すキャラクターは、その方向性はどうあれ、とにかく熱量が高い。恐ろしく高い。リアリティなどという言葉からかけ離れているようにも思えるが、極限状態の中で「実は心の奥底にある一番のリアルはこれなんじゃないか?」と思わせるような本質的な一言を吐き、我々読者の心を刺してくる。

 

余談になるが、「卑怯者の島」はそういった言葉が頻出する名作だ。

 

 

江呂井にとてつもなく惹かれた私は、この話を下敷きに脚本を書き上げ、自分が江呂井をモデルとした先生役も演じ、それなりの好評を得た。ある種、厳格に訊け!の舞台化でもあるのだから、外せるわけないというプレッシャーもあった。

 

そして、舞台上演から18年。

 

第一回の九州ゴー宣道場・場外乱闘にて、小林よしのり本人と初めて話す機会を与えてもらった際、ド緊張の中でことの経緯を説明し、勝手に原作として使わせてもらったことを詫びた。

 

「へぇ〜ほんと。すごいね〜。」と、本人からはアッサリした回答を頂いたが、ずっと心の中にあったモヤモヤが晴れたような気がした。

 

翻ってみるに、いわゆるピカレスクロマンを最初に意識したのは江呂井であったかもしれない。しかも、「もはやこれまで」といった潔さではなく、これまでよりもより強い悪(彼にとっては正義)を為すという宣言。ここには稀代の大盗賊・石川五右衛門の辞世の句「石川や 浜の真砂は尽きじとも 世に盗人の 種は尽きまじ」に通じる、悪の普遍性も感じさせる。

 

もし未読の方で、ご興味を持たれた方は、是非ご一読を(電子書籍も出てます)。

 

(了)