平成28年10月28日

『400年の有田焼』                  

佐賀県 木木(九州設営隊員 No.0006)

1616年、朝鮮の陶工「李参平」は、 佐賀県西松浦郡有田町にある泉山磁石場にて白磁鉱を発見し、近くの上白川に天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼く事に成功しました。有田焼の誕生です。それから400年、今年佐賀有田にて「日本磁器誕生・有田焼創業400年事業」と言うものを開き、 様々なイベントを行なってきました。

 

一般にさらっとこれくらいの説明を書いて、 スルーしているように思いますが、何か疑問に思いませんか?焼き物なんてもっと昔からあるんじゃないの?朝鮮出兵時につれてこられた?犯罪の臭い!!有田焼と伊万里焼って何が違うの?

そんな疑問に端的に答えていく事により、この当時の有田焼にまつわる情勢等について知って頂ければと思い ます。

 

1.焼き物なんてもっと昔からあるんじゃないの?

確かに焼き物は昔からあります。当然、縄文土器なんてものがあるくらいですから、 

2千年と言わない歴史があるわけです。では有田焼は何が違うのでしょう?

 

答えは既に書いてありますが、有田焼は「磁器」であり、それ以前に日本で使用されていたのは「 陶器」なのです。何が違うのかと言うと原料です。陶器は”土”を原料にしているのに対し、磁器は「陶石」と言う”石”を原料にしています。

 

そんな磁器は一般的な陶器と比べて強度が高く、薄くて硬く丈夫な焼き物で、爪で軽く弾くと金属のような音がなります。その石を日本において初めて発見し、白磁を作る事に成功したのがこの有田の地であり、作ったのが李参平なのです。

 

2.朝鮮出兵時に連れてこられた?犯罪の臭い!!

そんな李参平ですが、どうして日本に連れてこられたのでしょう。当時の時代背景を日本側、朝鮮側からそれぞれ見てみましょう。まず日本ですが、ご存知の方も多いでしょうが、戦国時代、武将達は茶器を蒐集する事に没頭しておりました。名器1つと城1つが等価であるかのように言われる事もあるくらいにその価値は武将達の間で高騰していきます。そこに日本側の茶器に対する需要の原因を見出す事ができます。

 

次に朝鮮ですが、当時の朝鮮は身分制度が存在していました。これは儒教的価値観を朝鮮にて実際に制度化したものです。基本的な価値観として、科挙に合格した文官等が特権階級となり、その下に農民がいて、更にその下の被差別階級として陶工達は位置づけられていました。そんな折、秀吉が日本統一を果たし、唐を支配せんとまず朝鮮半島に進出します。所謂朝鮮出兵です。そこで日本の諸藩連合軍は大敗北を喫する事となりましたが、 諸藩の武将は朝鮮において陶工達に出会います。そして、自分達のお抱え陶工にしようと日本に招待するわけです。

 

陶工達も今の状況より待遇が良くなると分かり、「家族も連れていけ」と要望し、一族で日本に来たりもしました。全国色々なところに朝鮮から陶工が連れてこられましたが、それは双方の利益に適ったものでした。(拉致が無かったわけではない模様)この佐賀(肥前国) において鍋島直茂が李参平を連れてきたのもこういった背景があったからでした。同様に有田町の近くの波佐見町や三川内町においても陶工が連れてこられ、平戸藩の陶工となったり、様々な生活食器を作ったりと活躍しています。

 

また李参平は有田において「陶祖」として陶山(すえやま。 通称とうざん)神社に祀られています。この神社は拝殿や鳥居に磁器が用いられている全国でも珍しい神社です。

 

3.有田焼と伊万里焼って何が違うの?

伊万里と有田はお隣です。 そして波佐見と三川内も有田からするとお隣です。皆近所なんですね。そして伊万里は有田、波佐見、三川内と違って伊万里湾に面しているのでここから船で焼き物が運ばれていました。

 

だから全て江戸以前は伊万里と呼ばれていました。しかし明治以降鉄道等の陸路による運搬が主流となるにつれ、それぞれの地域の名前を冠するようになりました。なお、伊万里市の大川内山地区では鍋島藩が直営で窯を構え、将軍家や大名等に贈答する高級品が焼かれていました。鍋島焼とも言われています。

 

さて、焼き物の背景的な部分について分かった上で、 有田の焼き物についてほんの少し触って終わりにしたいと思います。百聞は一見に如かず。有田までお越しになって実際に体験して頂いたほうが早いですからね。

 

まずはやっぱり酒井田柿右衛門。2013年に先代の14代目がお亡くなりになられましたが、現在15代目が襲名されています。柿右衛門の特徴は「赤絵」です。染付け(藍色)の磁器に華やかさが加わり、有田焼における画期的な役割を果たしています。次に今泉今衛門です。江戸時代から使われている技法「墨はじき」と言う技法(白抜き)により独特の世界観を表現しています。こちらも現代は現在14代目。最期に井上萬二さん。絵付けが命の有田焼の中で、白磁にこだわる異色の陶芸家。その白磁の美しさは、、、見て感じてください(笑)

 

色々と書いてきましたが、日本の伝統工芸有田焼について語る上でやはり朝鮮や中国との関わりははずす事はできません。古代より現代に至るまで文化、芸術、思想等様々な面においてかかわりあってきた我々は、そのインターナショナルな世界において互いに文化や技術を発展させてきた事を思いながら、ここに政治的な何かを介入させる無粋な事は抜きにして、「粋」な心で「粋」な有田焼を、日本において長く愛されてきた有田焼の美しさを堪能できればと思 います。あ、来年も陶器市はゴールデンウィーク期間中やってますよ!!

泉山磁石場
泉山磁石場
陶山神社拝殿
陶山神社拝殿
陶祖李参平碑
陶祖李参平碑
陶山神社由緒書き
陶山神社由緒書き

陶山神社拝殿細工
陶山神社拝殿細工
陶山神社鳥居額
陶山神社鳥居額
陶山神社鳥居
陶山神社鳥居
有田・波佐見・三川内の地図
有田・波佐見・三川内の地図


                                   

平成28年10月15日

『北九州のお神楽』                  

隊員No.7 北九州 松葉

石見神楽の衣装 『浜田市観光協会「石見神楽」』(外部リンク)

 


 

 平成28年9月27日

『円応寺』                     

福岡県 F (九州設営隊員 No.0013)

頭山家の菩提寺。満本人が墓を建立。

頭山満の葬儀の提灯行列を幼少期に体験した住職と、地元の歴史に詳しい副住職が在職。

頭山満直筆の掛軸や妻峰尾の書、写経などを所蔵。

先日お伺いした際、ご住職、副住職のお話が楽しく、有意義な時間を過ごすことができ、いつまでも聞いていたかったです。

 

円応寺、昔よく趣味で通っていた小学校の近くにあり 懐かしくもありました。

円応寺までのアクセスは「地下鉄大濠公園駅4番出口より徒歩5分」です。

円応寺に訪問される方は、必ず電話でアポとるようにお願いします。

「圓應寺(円応寺)」(外部リンク)